(い) 白河上皇・藤原道長
白河上皇
しらかわじょうこう
「後拾遺和歌集」等を撰集するなど、文学者として秀でた一面もありながら、優れた政治手腕を持つ人物でした。摂関政治を弱体化させた父・後三条天皇の跡を継ぎ、能力のある者しか上級官位に昇進できないようにして藤原家の勢力を排除し、政治権力を天皇家に戻しました。応徳3(1086)年には堀河天皇に譲位し、上皇として院政を開始。堀河・鳥羽・崇徳の三代天皇という40年以上に及ぶ白河院政は大変強力な政権を誇ります。意のままにならないものとして、三不如意(賀茂川の水、双六の賽、山法師)を挙げた逸話でも有名ですね。その圧倒的な権力の象徴といえる存在が、法勝寺の八角九重塔でした。
藤原道長
ふじわらのみちなが
平安時代に権勢を振るった藤原氏の中でも、最も栄華を極めた公卿。最上位・関白太政大臣に就任、3人の娘(彰子、妍子、威子)をそれぞれ一条天皇、三条天皇、後一条天皇の中宮(皇后)として嫁がせ、政権を握りました。当時、桜の名所として知られていた「白河別業」は藤原摂関家の嫡流の別荘で、観桜の会や詩会、蹴鞠、競馬などが催されたようです。出家した上東門院彰子の住まいとなった後、承保元(1074)年に白河天皇へ贈られ、その地に法勝寺が建立されました。
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