高瀬川
高瀬川は、江戸時代初期、豪商の角倉了以(りょうい)・素庵(そあん)親子によって開削された運河です。京都中心部と伏見をつなぐ水運の要として、大正までの約300年間、物資の輸送に活躍しました。水深が浅いため、運搬には「高瀬舟」と呼ばれる船底の平らな木造船が使われ、森鴎外の小説でも有名です。また、沿岸には幕末の動乱の舞台となった場所が多く、三条の「池田屋跡」をはじめ様々な石碑あり、当時を偲ばせます。
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