清水寺とは

正式名称は、音羽山清水寺(おとわさんきよみずでら)。そのはじまりは、宝亀9(778)年のこと。延鎮上人(えんちんしょうにん)が、「木津川の北流に清泉を求めて行け」という夢を見て、翌朝、清泉をもとめて川を上がると、音羽山麓にある滝にたどり着きました。そのほとりの草庵にいた行叡居士(ぎょうえいこじ)から、千手観音像を授かった延鎮上人は、それから草庵と観音霊地の山を守ることになります。
2年後、その草庵を訪れたのが、有名な武将である坂上田村麻呂です。延鎮上人と出会った坂上田村麻呂は、その教えに深く感銘を受け、後日、自らの邸宅を仏殿に寄進し、十一面千手観世音菩薩を御本尊として安置されました。
清水寺はその後、霊験あらたかな観音霊場としてさらに広く信仰を集め、平安時代には『源氏物語』や『枕草子』といった王朝文学をはじめ、能狂言や歌舞伎、落語などにも数多く登場するなど、貴族や武士といった限られた階級だけでなく、庶民にも開かれたお寺として親しまれてきました。
開創から1200年以上もの間、何度もの天災や戦災にあいながら、その都度、人々の篤い信仰によって復興を果たしてきました。現在の伽藍は、徳川三代将軍家光によって、寛永10(1633)年に再建されたもので、平成6(1994)年に、ユネスコの世界文化遺産に登録されました。

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