せいみきょくあと
舎密局跡
黒谷の浄土宗本山金戒光明寺の境内にある墓所。金戒光明寺は京都守護職の宿所となり、同職を受けた会津藩主松平容保が文久2年(1862)に京に入って以降、会津藩の京都での活動拠点となった。墓所の敷地には「会津藩殉難者墓地」などの碑が建ち、元治元年の禁門の変や慶応4年(1868)の鳥羽・伏見の戦いなど、京都をめぐる戦いで命を落とした会津藩士ら 352名が眠る墓が建てられている。



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