■新島八重、襄のゆかりの京都をめぐる(同志社墓地)
明治 23年(1890)1月23日に亡くなった新島襄の遺骸は、当時共同墓地であった東山の若王子山に埋葬された。その 2年後、八重の兄で新島襄の盟友でもあった山本覚馬も亡くなり、新島襄の傍らに埋葬された。その後、この墓地には山本家や新島家、そして同志社ゆかりの人物が埋葬されるようになり、明治 34年(1901)には、共同墓地のうち148坪を新島・山本両家の墓地とする許可が八重に下りた。八重も死後この墓地に埋葬され、襄の墓の隣に眠っている。
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